大木洋食店の老コック

 
下町には数多くの洋食屋がある。ひと口に洋食屋といってもピンキリで、大衆食堂に毛の生えたような普段使いの店もあれば、特別な日にちょっとオシャレをして出かけるのに向くような店もある。ほんのり防虫剤のにおいのするツイードのスーツを着た父親に、半ズボンのスーツにピカピカの黒い革靴をはいた男の子、下町のおかみさん風の歯切れのいいしゃべりで子供の行儀に注意を配る訪問着を着た母親、彼らが囲むテーブルには糊付けされた真っ白なクロスがかけられ、エビフライやハンバーグステーキといった茶色に寄りがちな洋食の色彩を鮮やかに引き立てている。昭和中期の下町の上等な洋食店ではそんな光景もめずらしくなかったのだろう。ひるがえって、もっと庶民的な洋食屋ではどんな光景が繰り広げられていたのだろう。先日、ひょんなことから、そんな店に足を運ぶことになった。

わたしには驚くと笑ってしまう癖がある。その洋食屋の前に立ったときもそうだった。よくいえばレトロ、悪くいえば相当に古びているという情報は事前に入手していたのだが、いざ店の前に立つとやはり目を見張ってしまった。周囲の街並みがめまぐるしく移り変わるなか、ひとりだけ時のあゆみを止めてしまったような、それでいて人を吸い寄せるような、そんな不思議な魅力を放っていたのだった。店名を染め抜いたのれんは出ているものの、それをくぐるにはあと一歩の勇気が必要だった。同行者と顔を見合わせ、お互いの意思を確認すべくうなずきあったところで引き戸に手をかけた。

間口半間ほどのせまい入り口の奥には、50年前の東京の下町の空気が流れていた。入り口の上部に据えつけられたテレビから流れる海外ドラマも、最近の作品であるはずなのに音声がくぐもっていて、大昔に流行った『コンバット』かと思わず画面を確認してしまったほどだった。しかし、何よりも意表をつかれたのは人間――名物の老コックだった。まず出迎え方からして斬新だ。老コックは入り口を向いて椅子に腰かけ、すやすやと船をこいでいたのだ。わたしたちは戸惑い気味に声をかけてみたが、一度では目を覚まさない。二度目に少し大きな声で呼びかけて、ようやくうっすらと目を開いた。これで昼食を食べ損ねることはなさそうだ。

浅草の少し外れ、立川談志も通ったという大木洋食店の老コックは、加齢でくぼんだ目をしばたたかせながら席をすすめてくれた。差し向かいに座ったわたしたちの前にコップに入った水が置かれ、それぞれに注文を済ます。テレビからはいぜんとして新しいのに古さを感じさせる海外ドラマが流れ、入り口上部に取りつけられた扇風機は店内の熱気を休みなくかき回していた。何度も中途半端に腰を浮かせてしまうのは、テーブルの下の備えつけラックに雑誌がぎっしり詰まっていて足の収まりが悪いせいだ。何冊か手にとってみると、もっとも古いもので10年前の週刊誌がまぎれこんでいた。週刊誌としての情報価値はすでに消失しているが、いまはすっかり鳴りをひそめた懐かしの芸能人に再会できるというメリットはあった。

店内には4人がけのテーブルが4つ。そのうち厨房に近いテーブルは老コックの定位置と化していて、他の木の椅子よりいくぶん座り心地のよさそうな肘かけ椅子が彼専用に据えられていた。入り口に近い席の壁には、経年の紫煙や油煙で茶色く変色したビニールカバーがかかっているが、厨房との目隠しになっているわけでもなく用途が不明だ。わたしたちの注文を聞いた老コックは、先ほどまでの眠そうな顔はどこへやら、しゃきっと背筋を伸ばして厨房の奥へ入っていった。

ちょうど目の高さに、出来上がった料理や空いた食器を出し入れするための差し出し口がある。老コックがひとつひとつの作業を丹念にこなしていく様子が目に入る。素材に衣をつけて熱した油に入れ、きゅうりの漬物を刻み、ごはんを盛りつける。同行者はハヤシライス、わたしはエビフライ定食という作業量に差のある料理にもかかわらず、ほぼ同時に運ばれてきたところに長年の経験を感じさせた。きゅうりの漬物を刻みはじめたとき、遠目にはピクルスにも見え、まさかいまからタルタルソースを作るのかと心配した。タルタルソースも嫌いではないが、フライは極力ソースで食べたいのだ。中途半端に手をつけて、老コックの誇りを傷つけたくなかった。だが、それはタルタルソースではなく、2人分をまとめて別皿に盛りつけたきゅうりの漬物だった。

料理がテーブルにところ狭しと並んだ。いや、狭いテーブルに肩を寄せ合っていたというほうが正しいかもしれない。味噌汁は家庭で出されるようなやさしい味で、この手の店に多い喉の締まるような濃いものではなかった。同行者のハヤシライスは美味しく、わたしのエビフライ定食はふつう。決してまずくはないのだが、何かが突出しているわけでもない。しかし、この店には味など二の次でいいと思わせるものがあった。年季の入った店と老コックの織り成すたたずまいを味わうことが優先されるのだ。

わたしたちが食べはじめると、老コックは寸暇の居眠りから目覚めたばかりの椅子にふたたび腰を下ろし、おもむろにタバコに火をつけた。禁煙喫煙の区別などなく、老コックみずから紫煙をくゆらす。最近ではすっかり悪者に成り果てたタバコも、この店では味のある小道具として輝いていた。クラシックなバーにおける紫煙がモノクロ映画のロマンティシズムであれば、昭和の風情を色濃く残す大木洋食店のそれは大衆演劇のダイナミズムだった。そうしたダイナミズムに反して、各テーブルにはさりげない繊細さがただよう。陶芸品にも量産品にも見える花瓶に、わずかに萎れながらも美しく調和のとれた生花が生けられていた。その生花の奥に、年季の入った店内の特等席でタバコをくゆらす、シワの寄った前掛けをした老コックの姿が透けてみえる。

メインのエビフライより美味しさの際立つ玉ねぎフライを口に運びながら、ときおり店内に目をやる。常連だった立川談志の写真や彼直筆の格言に混じって、草花や風景の写真が目にとまる。それに気づいた老コックが親しげに話しかけてきた。高校卒業後、終戦の爪あとが残る昭和20年代に“口減らし”で南アルプスの麓から浅草にやって来たこと。以来、この店でコックをつとめ、先代亡き後は店をまかされていること。壁に飾られているポップな絵は先代が趣味で描いたものであること。そして、写真が趣味であること。

老コックは、大昔に二眼レフで撮ったという故郷の寒村の写真を見せてきた。冬は雪深いという南アルプスの麓の集落が写っている。二眼レフという響きから、わたしは老コックがまだ若かりし頃、小僧扱いをされていた時代の休日に上野方面へ遊びにいき、御徒町のカメラ屋の前で立ちどまる姿を想像した。ショーウィンドウには太い黒縁のメガネをかけた男性や、コロコロとした身体にウエストを絞ったワンピースをまとったアップヘアの女性が映り込む。若かりし老コックは行き交う人々の姿など気にもとめず、ひたすらカメラに見入る。店内に入って実物を手に取ってみると、まるで自分の身体の一部のようにすっと手中に収まる。しかし、値札を見ると、いますぐ買えるような値段ではない。若かりし老コックは給料をため、数ヵ月後にふたたび店をおとずれた。この日から彼とカメラの付き合いがはじまった。当初は二眼レフで故郷の風景を撮っていた彼も、いまではスカイツリーが映り込む川面などを撮って見る者を感嘆させる。彼が特にテーマをもうけず、気の向くままに撮りづけた写真は何層にも積み重なり、彼の人生とそのまわりを流れていった悠遠の時を感じさせることに成功していた。

「いまのカメラは性能がいいから何でも綺麗に撮れる」と謙遜するが、褒められるとまんざらでもないようで、次々と写真の収められたアルバムをめくる。写真について話す彼の目に老人のよどみはなく、好奇心に満ちた少年の輝きがあった。玄人はだしなので見ていて飽きないのだが、問題はここが洋食屋ということだ。わたしたちは食事に来ているのであって写真を見に来ているわけではない。老コックが丹精をこめて作った料理は徐々に冷めゆき、わたしと同行者は暗黙の了解で交互に老コックの相手をすることにした。片方が老コックの写真の解説やよもやま話につきあっているあいだにもう片方が集中して食べ、そろそろかというところで選手交代。食べているあいだも話に耳をかたむけ、興味深い話があればときおり老コックに視線をやって、なるほどという風にうなずく。天ぷら屋で冷めた料理を食べさせられた話、浅草の喫茶店がケーキセットにべらぼうな値段をつけようと相談にきた話など、客にする鉄板の話があるようで、それがしばしば繰り返される。これが常連の談志なら、「おやっさん、その話、さっきも聞いたよ」とちょっと斜にかまえた猫背の上目遣いで言えるのだろうが、いちげんの客はうっすらと笑みをうかべて相槌を打つのが道理だ。

インターネットを用いた電子商取引にも批判的で、自分ならこうすると一家言を披露する。老コックの店は談志が常連だったというネームバリューに加え、一部のファンがネット上で広めたことで顧客が増えたはずなのだが、それを指摘するのは野暮というもの。老コックの話を聞いてはニヤニヤし、すっかり冷め切った味噌汁を飲み干し、途切れそうで途切れない話の節目を探しているうちにコップの水も空になり、しばらくして向こう岸にわたる渡し舟がやって来た。これが最後のチャンスとばかりに飛び乗り、老コックに挨拶をして往来に出た。道々、次回は何を食べようと同行者と相談する。ふと、老コックのシワの寄った白い前掛けの前に映える、黄色いタマゴと赤いケチャップのオムライスが目に浮かび、ああ、ご馳走だなと思った。