座敷わらしと小さな城

 
ひとり暮らし、フリーランス、30代。というと、自由の化身のように感じる人もいれば、絶望の化身と感じる人もいるようだ。おそらく後者のほうが実態に近い。わたしの場合、ひとり暮しは協調性がないうえに一緒に住む人がいないからで、フリーランスというのも仕事状況によっては無職同然、東京暮らしはほかに行く場所もなく出身地も水が合わないから居座りつづけているだけだ。ここまでくると、もうだれも自由の化身なんて口にしない。いや、口にすることを許さない。それでいて自由の化身のように振る舞っている節がある。仕事は趣味でやってるの、食べるためだけの労働を尊いことだとは思いませんよ、ほほほ、とあたかも高等遊民のような心持ちでいたいのだ。憐れみの目を向けられないように、自分の底にこびりついている尊厳を守るために。そんな目を向けられたら、自分を支えている細いアクリルの糸が切れて、へなっと前のめりに倒れ込んで死んでしまいそうだ。

常に孤独で、常に虚無感でいっぱいで、虚無感がおとなしくしているときは、たいてい自己無用感にさいなまれている。束縛されるようなこともないのに、突然、自由になりたいと渇望したりする。自由と背中合わせの不安を恐れているのに自由がほしくて、自由がほしいわりに不安要因を排除する知恵も気力もなく、そもそも自分の現状が自由か不自由かということすら判然としないまま空想世界に足を踏み入れて、不安ともリスクとも縁のない安全な自由に身をひたすことになるのだ。それは別名、逃避と呼ばれる。

そのかりそめの自由に身をひたす主な場所は自室で、20平米ほどの小さな空間は過去にも未来にも、遠い外国にも離れ小島にも逃れることのできる大宇宙だ。狭いだけあって物理的にも小回りがきき、あるときは食卓に、あるときはリビングに、あるときは寝室に、あるときはパーティルームにもなる多目的空間だ。キッチンは別としても、基本的には食べる場所も、寝る場所も、来客をもてなす場所も、わたしの場合は仕事をする場所も一緒。長年この環境で暮らしてきたことで、空間を目的ごとに使い分けるのが苦手になってしまったのも事実で、仮に広い家に引っ越して、どの部屋をこれこれ専用にして、と考えたところで、結局はLDKに座り心地のよいソファを置いて寝起きするのがおちだろうと思う。食後にソファでうたた寝して、ふと目を覚まして、おもむろに立ち上がって、わずか数歩でベッドにたどり着いて、むにゃむにゃ言いながら本気寝に入るという至福を知ってしまったら、もう最後。20平米の空間に便利さこそ感じても不便さを感じることはなく、土地柄も自分好みで、これ以上に住み心地のよい場所はないだろうとすら感じている。いまでも必要十分なのに、広い家に越したら維持費と掃除が大変になるだけではないか――。

ところが、誰にでも心境の変化はあるものだ。もともと間取り図を見ては、もし自分が住んだらと想像をめぐらすのが好きなので、不動産情報サイトは結構な頻度でのぞいている。その回数が最近はとみに増えていて、ちょっと内見に行ってもいいのではと思うに至った。そして某日、満を持して内見が決行されたのだった。

1軒目は、いま住んでいる部屋から歩いて10分程度の隣町にある物件だった。地域、広さ、間取り、設備、収納、その他もろもろ考え合わせても相当安価で、本気で引っ越しを考えている人が見合わせる理由を挙げるとしたら、1階で生活道路に面している点ぐらいだと思われた。それも防犯を兼ねたフェンスが目隠しになっているし、レースのカーテンを引くか、ロールスクリーンを窓の途中まで下ろせばさらに気にならなくなる。よほどのことがないかぎり、取り壊しになるまでいまの場所に住むかもしれないと思っていたわたしですら、ちょっと心惹かれてしまった。

2軒目は、いま住んでいる部屋からさらに近いところにあるメゾネットタイプの住宅で、表札に書かれていた前の前の住人の名字まで記憶している建物だった。かつて和風のつくりだったものを時代に応じて無理やり洋風にリフォームしたようで、内側は想像していた以上にアバンギャルドだった。広さのわりに収納が少なく、元和室でありながら押入れのようなものも見当たらない。飴色に磨き上げられた階段はなかなか魅力的だったが、踏み板の幅がせまく急なのが難点だった。

そんな階段をのぼっているうちに、どこかで見た昭和40年代の暮らしの映像が脳内に映し出された。そのままふわふわと腰窓のところまで行き、窓を開けて表の様子をながめた。見慣れたはずの街並みは、高い窓から望むとまた違ったものに見えた。何度かすれ違ったことのある中年女性が悠然とママチャリをこいでいき、客が入っている様子もないのになぜか営業をつづけている飲み屋のママが店を開ける支度をはじめていた。わたしが越してきた頃はまだママチャリの女性と同じぐらいの年かさだった彼女も、額に手をかざして空模様をながめている姿はすっかりおばあちゃんだ。そこには昔、酒屋があって、あっちには八百屋があってと、かつての街並みを重ね見ているうちに、たちまち郷愁がこみ上げてきた。つらいときも、楽しいときも、嬉しいときも、悲しいときも、自分はこの街の一角のあの部屋で暮らしてきたのだ。少しずつ着実に変わりゆく部分と、十年一日のごとく変わらずにありつづける部分。変わらなくていいのに変わってしまう街並みもあれば、変わりたそうなのに変われない街並みもある。親しみを感じていた板張りの民家がある日突然更地になり、やがてありふれたコインパーキングになってしまったのを見て、その場に立ち尽くしたこともあった。

両親とも亡くなって実家には次姉一家が住むようになり、もともと水が合わなかった出身地とはますます心理的な距離を感じるようになった。変わりたくないのに、変わらずに存在しつづけてほしいのに、自然の摂理というものにこちらの思いなど通じるはずもなく、まわりの景色はどんどん変わっていってしまう。自分にとって安心できる場所はこの街のこの部屋で、ほかにはないのだ。それでも、いま決断しなければずっと越せないままかもしれないと思い、いったんは1軒目の物件に移ろうと心を決めかけた。家具の配置はもとより、引っ越し先での暮らし、客人を招いているところ、あらゆるシチュエーションで想像をめぐらしてみた。しかし、そのあいだ、普段はめったにしない腕組みをしていた。きつく組んだ腕をさらに自分のみぞおちのあたりに引き寄せていた。腕組みは自分を守ろうとする心理の表れという。自分でもわかっていた。めずらしく“変わる”ということに前向きに取り組もうとしたが、本当は変わらずにいたいのだ。人間そのものの変化は避けられず、場合によっては好ましくても、自分の心のよりどころになる場所は極力変わらないでほしいし、変えずにいたいのだと。

こうして、わたしの引っ越し物語はひとまず幕を下ろした。つぎは、4年前から目をつけている目と鼻の先のマンションを買うときだろうか。予定している購入資金が宝くじの当選金なので、実現が危ぶまれるところではあるが。