迷子のくまが保護されるまで〜赤くて陽気な歌舞伎者〜

 
わが家に白いくまのぬいぐるみがやって来たのは8年前の冬だった。当時のわたしはふさぎがちで、表向きは笑っているけれど、内心ではいつも鬱屈とした梅雨空のような心境でいた。それを鋭く見抜いた知り合いがたまたまぬいぐるみ好きで、なかば自分の分身としてくまを遣わしてくれたのだ。ぬいぐるみが嫌いというわけではなかったが、インテリア等を考慮すると、部屋にぬいぐるみを置くという選択肢はそれまでのわたしにはなかった。しかし、せっかく遣わしてくれたのだから、飾らないわけにはいかない。幸いにも体長15センチほどのあっさり顔のくまで、特別主張が強いわけでもなかった。そのくまはやがて、熊之丞(くまのじょう)と命名された。命名したのはほかならぬわたしで、元の送り主が歴史好きだったために、いかめしい、勇猛果敢な武将を彷彿とさせる名を当てずっぽうでつけたのだった。こうして熊之丞とわたし、ふたりの生活がはじまった。

当初は熊之丞と仰々しい名で呼ばれていた彼も、しだいに短縮されてジョジョと呼ばれるようになり、さらに短縮されてジョと呼ばれることすら出てきた。ひどい簡略化だ。当初のジョジョは純真さをにじませながらも、ボケる主にするどくツッコミを入れるような一面もある愛くるしいキャラクターだったが、ひょんなことからメープルシロップ依存症の陽気で粗野なくまへと変貌していった。カナダに長期滞在していた知人からメープルシロップが送られてきたのがそもそものきっかけで、なおかつちょうどその時期に、わたしが主人公がシュガーハイになるコメディドラマを見てしまったことも大きく影響した。夫が浮気をしているのではないかと早合点した主人公が気持ちを静めるために、次からつぎにスティックシュガーを喉に流し込んでいくというストーリーだった。そこに“熊はハチミツ好き”という既存のイメージが加わり、すべてをドラム缶に入れてぐるぐるとかき混ぜてコックをひねったら、下の蛇口から“メープルシロップ依存症のくま”というろくでもない設定が出てきた。イメージとしては、いつも港の飲み屋街をふらついている赤ら顔の漁師というところだろうか。当初の言葉遣いはアニメっぽく、語尾も“〇〇であります”に統一されていたが、メープルシロップ依存症になってからというもの、北関東とも東北ともつかない、不思議なイントネーションで話すようになってしまった。熊之丞の最大の不運は、物事を深く考えないくせに、よけいなことはすぐに思いつく人間のもとに遣わされたことかもしれない。

それでも、熊之丞とわたしは病めるときも健やかなるときも共にあり、割と幸せに暮らしてきた。自宅で311の大地震に見舞われたときも、わたしの危機を察して棚の上からすかさず駆けつけてくれたし(単に転げ落ちてきただけだとか言わない)、やる気が失踪してなかなか仕事の手がつかないときも、そばに寄り添ってダメな自分を受け入れたら楽になると甘くささやきつづけてくれた。おかげで締め切りに四苦八苦するはめになったが、熊之丞はぬいぐるみだから、一部の自堕落な人間がそうであるように、自分サイドに相手を引きずり込んで安心するという意図はなかったのだろう。透明な善意だったのだ。

こうしたステディな関係にとって、関係を危うくしかねない危険因子のひとつがお互いの心変わりだ。対人間のほうはともかく、対ぬいぐるみに関してはわたしは潔癖なまでに誠実でありつづけた。ショップの店頭でかわいいくまを見かけても、いけないいけないと自制してその場をあとにしたし、知り合いから愛人にどうかと不要になったくまの譲渡をほのめかされても、堅物の生娘のように頑なに拒みつづけてきた。しかし、そんなわたしもナイチンゲール症候群には抗えなかった。


いつも出会いは突然に起きる。そのくまとの出会いも突然の出来事だった。ある日の夕方、近所を歩いていると、あるアパートの縁の下に目がとまった。もう日も短くなってきていた頃で、そのうえ普段はまったく目を向けないそんなところになぜ目が向いたのかわからない。何かに呼ばれたような気がして、ふと視線を上げると、縁の下のネズミ避けの格子の前に、体長10センチほどの赤いくまが横たわっていたのだ。赤いくまは薄汚れ、ぼんやりと虚空を見つめていた。誰かが落としたのだろうか。ちょっと手を空ける拍子に置いたにしては不自然な場所だった。誰かが落としたのを誰かが不憫に思って拾い、くぼみに置いていったのかもしれない。それでも持ち主が現れるかもしれないと思い、しばらく様子を見ることにした。だが、1週間が過ぎても、赤くまは虚空を見つめて横たわったまま。その諦念と疲れのにじんだ表情が、大きな公園などで見かけるホームレスの男性と重なった。心が痛んでもホームレスの男性を連れ帰って一緒に暮らすなどという独りよがりはできないが、くまのぬいぐるみならそれも叶うのではないか。

そこで、内輪でぬいぐるみ博士と呼ばれる御仁に意見を仰ぐことにした。かくかくしかじかで赤いくまがいるのだが、どうするべきかと。ぬいぐるみ博士はもう何日か様子を見てはどうかという。なるほど。もとの持ち主が必死に探している可能性もある。とは思うものの、もう1週間だ。おそらく落としたのは近所の住人だろうし、もし必死に探しているなら、そろそろ探し当ててもおかしくないはずだ。このまま放置していれば、ますます薄汚れて朽ちていってしまうかもしれない。その旨を伝えると、普段は穏やかなぬいぐるみ博士が、「保護しよう」と大きな威厳をにじませて提言した。それから数時間後、赤いくまは無事保護された。

調べてみると、赤いくまは千葉県のマスコットキャラクターで、巷ではチーバくんと呼ばれているという。しかし、それではあまりに味気ないということで、博士と検討に検討を重ねた。鮮やかな色合いや片目をつぶったところが見得を切ったときの歌舞伎役者のようでもある。最初は、しばらく露天暮らしをしていたことと、歌舞伎の『暫』という演目を掛け合わせてシバラクという名にしてはどうかと思ったが、人権ならぬぬいぐるみ権蹂躙もはなはだしい。再度検討していると、カブクマはどうかと博士が提案した。人形やペットに名前をつけるときにやりがちな方法で、ちょっと安易に感じなくもないが、カブクマと声に出して言ってみるとなかなか悪くない。かくして、長くて短い流浪生活を送った1匹の赤いくまは、おしゃれ着用洗剤で流浪の汚れと疲れを癒し、カブクマという名前とわが家の棚の中央という安住の地を得て安穏と暮らしている。