ネギ泥棒と春の宴

 
北風が吹き荒れる寒い夜、わたしは家路を急いでいた。トラックや乗用車が車道をときおり通り過ぎる以外は音らしい音もなく、しんと静まり返っている。四方八方から忍び寄る冷気がひび割れる音や、夜空を支配する星のきらめきく音が聞こえてくるようだった。

しばらく歩いていくと、歩道に細長い光が伸びていた。コンビニの明かりだ。表に置かれた棚には、大根、にんじん、ごぼうといった根菜類をはじめ、りんごやみかん、洋梨といった果物類が並んでいる。このコンビニは最近よく見かける生鮮食料品も扱っている店で、野菜や果物の品揃えが異様によく、近所に大型スーパーが開店してやる気をなくした八百屋よりははるかに多くの品物を扱っていた。そういう事情から店の前を通ると、とくに必要なものがなくてもついつい立ち寄ってしまう。いつものように端から順に眺めていくと、ある1束の野菜に目を奪われた。白と緑のコントラストが美しい──地域によってはほぼ緑一色の──長ネギだった。それも細めのものが20本ほど紐でくくられている。値札を見ると100円──。わが目を疑った。これが100円? ひと抱えほどもある長ネギが? あたりを見まわすと、ビルやマンションが立ちならび、いいあんばいに酔っ払ったカップルがお互いにもたれかかり合いながら千鳥足で通りすぎていく。何かの手違いで田んぼの真ん中の無人販売所に降り立ったわけではなさそうだ。嬉々としてかごに放り込み、次なる標的の赤かぶを手に取ったところで、ある人の顔が脳裏をよぎった。


「オレ、学生時代はネギ畑の真ん中に住んでたからさ、金欠になったり、ちょっと鍋やるとかなったりすると、畑から何本か抜いてきてたんだよね」
犯罪者というのは、秘密を抱えている苦しさから解放されたくて、あるいは緻密な犯罪計画を思いついた賢さを認めてほしくて、内心では自分の犯した罪を暴露したくてうずうずしていると聞いたことがあるが、彼に関してはどちらも当てはまらなさそうだった。単に、話題として、それも愉快な話題として提供してくれているようだった。当時、ネギ泥棒の彼は社会人になってひと月もたっておらず、過去に犯した悪徳の打ち明け話としては鮮度がよすぎた。
「でも、それって商品作物でしょ? いや、家庭菜園であっても立派な泥棒なんだけど」
「いやいやいや、泥棒じゃないって。だって、アパートの目の前、ぜんぶネギ畑なんだぜ? オレの大学のやつら、みんな持ってってたもん」
それが彼、ひいては彼の母校の学生の道徳観念を暗に示しているとも気づかず、ネギ泥棒Aはヘラヘラ笑うと、Tシャツの袖からのぞかせた太い腕をピクピクと震わせた。この腕だったら、地中深くに埋まったネギを引き抜くのも簡単だったに違いない。彼は常々、原付バイクを持ち上げられることを自慢にしていたが、幸いにしてわたしはその力自慢イベントを拝見する栄誉にあずかっていなかった。

「大学のやつら、みんな持ってってた」と数の論理を持ち出す、ネギ泥棒22歳屈強男子に対抗するにはどうしたらいいのだろう。自分の考えるモラルは必ずしも万人に共通するわけではないと理解しているつもりだったが、こうも堂々と楽しげにネギ泥棒の過去を告白されては反応に困る。「サイテー、泥棒じゃん!」と非難したところで、畑から無断でネギを引き抜くことに何の罪悪感もない彼が突然悔悛して、ネギ農家に菓子折りを持って謝りに行くとは思えなかったし、かといって「すばらしい、実にすばらしい。そなたは得難い経験をなさったのですな! これぞ若者のダイナミズム!」と青春の冒険譚を称賛するのもまた違うように思われた。世の中には凶悪犯罪に手を染めずとも、犯罪スレスレで生きている人が一定数いて、そういう人はスーパーの商品を万引きするとか、道端の自転車を拝借するといったことに何の後ろ暗さも感じない。ネギ泥棒Aは厳しいしつけを受けて育ったようだが、その反動か、あるいはスポーツ一筋でやんちゃを好む同胞と長年苦楽を共にしてきたせいか、ネギ泥棒や軽犯罪程度ではまったく胸が痛まない強靭な精神力を備えていた。

とはいえ、ネギ泥棒Aはネギ泥棒以上の悪事は働けないように思えた。人の心の機微に疎いうえに、表情や言葉尻に本心が出てしまい、考えていることがすべて筒抜けだったからだ。
「ネギつながりでいえばさ、好きな女がさ、スーパーのビニール袋からネギはみ出させて歩いてたら、ヒクよね。ぶっちゃけ」
そこで突如、わたしのなかの反骨心が目を覚ました。ネギ泥棒Aに何と思われようと構わない、むしろ嫌ってくれと希っていたが、ビニール袋=ネギ問題だけは聞き捨てならなかった。
「それは生活感のある人が嫌ということ?」と満面に笑みをはりつけて。
ネギ泥棒Aは背もたれに身をあずけ、半開きにした口にタバコを差し込み、紫煙をくゆらしながらあごを前後にカクカク動かした。仕上げに首をひとまわし。「えー、だって、みっともないじゃん? 自分の女にはそういうみっともない格好してほしくないんだよね」
“みっともないの定義って?”となおも食い下がろうとしたが、食い下がったところで納得のいく回答を得られるとは思えず、急きょ質問を差し替えた。
「じゃあ、あなたに恋人がいてさ、どっちかの家で料理をするときにネギが必要になったらどうする? 目の前の畑から何本か抜いてくる?」
「あはは、それいいね。っていうか、ネギ畑の真ん中に住んでたころ、現にやってたし」
ダメだ。皮肉が通じない。
その後、わたしは、ネギがいかに万能な香味野菜かをとうとうと説明した。和洋中に使えるだけでなく、日本ではあまり手に入らないポロネギの代用品にもなるし、豊かな食生活を送るうえでなくてはならない野菜なのだと。自分の名誉を守るためなら、生活感を薄めるためなら、1000年前の料理大全でも引っぱり出してこようという勢いだった。
「まあ、都会じゃネギを育てるわけにも、近所の畑から拝借するわけにもいかないから、どこかで買ってくるしかない。たいてい、近所の八百屋やスーパーで買うから移動手段は徒歩か自転車になる。そうすると、ビニール袋なりエコバッグからネギがはみ出、それが通りすがりの人の目に触れてしまうのは致し方ない問題ということになるね」
完璧な弁論のはずだった。ところが、ネギ泥棒原付筋肉男は妙なところで鋭かった。彼はニヤニヤしながら言った。「あれ、もしかすると、そっちもネギはみ出させちゃう感じなの?」
わたしはこの十数分間、自分の名誉を守るためだけに闘っていた。そもそもネギ泥棒上腕二頭筋男に気に入られたいとは、はなから思っていなかった。もうこの男には二度と会わないだろう。告白の瞬間が迫っていた。
人間は一定の年齢になると、やり過ごすということを覚えるようになる。パートナーや恋人が浮気をしていると勘づいていても、さも幸せそうに笑顔で振る舞う。裏切りを前にしたら、すぐさま逃げ出していた小娘は遠く過去の住人となり、年を経るごとに狡猾さを身につけ、何も問題など起きていないかのようにやり過ごすほうがたやすいと理解するようになる。情熱と引き換えに安寧を手に入れるのだ。しかし、安寧は思いのほか脆い。放っておけば、たいていは自然崩壊に至る。ただ、ときには自然崩壊を待つのではなく、自ら振り下ろす鉄槌で突き崩すほうが効果的なこともある。もちろん、鉄槌の柄は極力長いものにしたほうがいい。振り下ろしたときに、飛び散った破片を浴びないように。
「ビニール袋からネギをはみ出させるの? そんなの、ひとり暮らしをはじめた18、9の頃からやってるよ」
「マジで? うわー、ショックだわ」
大げさに嘆くネギ泥棒筋肉増強男を見て、まんざら悪い気はしなかった。ビニール袋からネギをはみ出させるような過激な生活感が外部に──少なくとも彼には──漏れ出していなかったと知って。
いつの間にか自分の目の前に鉄槌が置かれていた。手中に収まった鉄槌は鈍く光っていた。たぶん、振り下ろすときがきたのだろう。
「それにわたし、よくネギ食べるから、ひょっとすると体臭もネギ臭いかもしれない」
「ええー、なんでそんなにネギ食うの?」
「だって、美味しいから」自分でも悲しいくらいシンプルな理由だった。

こうしてビニール袋=ネギ問題の第一幕は、ネギ泥棒Aをどうにか煙に巻くことで一件落着となった。ところが、ネギ泥棒Aもなかなかしぶとかった。ビニール袋=ネギ問題から2年、わたしのもとにはいまでも月1のペースでネギ泥棒Aからメールが届く。一度も返事が返ってこないのにメールを送りつづける精神力は、さすがスポーツマンと思わせるものがあった。はがねの精神力だ。メールの文面は必ず「元気?」「飯いこう」「飯いこうよ」のいずれか。決まって5文字以内なのは何かの暗号なのだろうかと解読を試みたこともあったが、食後の快楽の交歓をこいねがう旨以外に重大なメッセージが隠されている様子はなさそうだった。


──コンビニで野菜を買い込み、表に出ると、飽きもせずに北風が我が物顔で吹きすさんでいた。コートの襟を立て、ゆるやかな坂道を無言でのぼる。悪天候のなかを無言で歩くと、なぜか手と足を鎖でつながれて運動する囚人のような気持ちになる。坂をのぼりきると、正面の歩行者用信号が青から赤に変わろうとしていた。いままさに浴槽から水が溢れようとしている様子をぼんやりと見つめているような心境だ。一刻も早く水を止めなければならないのに、もうどうせここまで来たら状況は変わらないと思って、浴槽から水が溢れる非日常の光景に見惚れ、傍観者として立ち会ってしまうのだ。

信号が完全に赤になり、垂直方向の信号が青になった。ぽつりぽつりとトラックや車が往来していく。車たちを照らし出す街灯がビニール袋からはみ出したネギの上にもこぼれ落ち、頭を垂れた葉が青々と光っていた。ビニール袋の取っ手を腕に通し、ひじの内側にじりじりと食い込む重みを感じながら電話を取り出した。「飯いこう」が彼からの最新メッセージ。彼のメッセージ一覧を削除し、電話帳を開く。削除しようか考え、ふと妙案が浮かんだ。こみ上げる笑いをこらえながら、登録名を「ネギ」に変更した。ごく少数の人を下の名前で登録している以外は、ほとんどフルネームで登録しているわたしにとって、これは画期的な方法だった。いま、わたしは、ネギからメールが届くのを心待ちにしている。