カップからあふれたコーヒー、割れたソーサー

 
アクシデントというのは実に厄介なものだ。不利益を被るだけでなく、ときにはアクシデントに直面したときの行動によって、自らの本性をさらけ出してしまう。冷静さと温厚さを兼ね備えているように思えた人が、自分のエゴにかかわる問題になると、怒りを制御できなかったりする。親切で利他精神に富んでいるように思えた人が、いざ自分の身に危険がおよぶと、これから起こす自分の行動を耳当たりのいい言葉で説明して、笑みをうかべながら逃げ出したりする。アクシデントはその人物の器の大きさが露呈してしまう悲劇のひとつかもしれない。たとえば、1杯のコーヒーが命取りになることもあって──。

平日の午前中の名画座は、いつも似たような顔ぶれで埋まる。暇をもてあましたシニア層、夫や子供を送り出したあとに急いで支度をして出てきた感じの主婦、それらの複数形。つまり、夫婦連れや友達連れだ。上映作品によっては、社会問題に関心を持っているような学生の姿が目にとまることもあるが、朝いちばんの上映回ではあまりお目にかかれない顔もある。スーツ姿の男性だ。それも、外回りに飽きてサボっているわけでもない、映画を見る気を感じさせる顔つきというのはめずらしい。そういう意味において、その日の朝いちばんの名画座はふつうではなかった。

上映開始まで5分を切ると、観客たちの椅子取りゲームは本格化する。時間ギリギリに入場した観客たちは、限られた空席のなかからベストな席を確保しようと躍起になるのだ。そのとき、わたしはすでに最後列の中央付近に腰をおろしていた。自分としてはベストな席で、おまけに前に座っているのは小柄で座高の低い女性だった。スクリーンまでの視界も問題なく、あとは上映がはじまるまで漫然と椅子取りゲームを見物するだけだった。そこに現れたのがスーツ姿の男性だった。年齢は30歳前後。どこか神経質そうな面持ちで、片手にコーヒーショップの袋、もう片手にビジネスバッグを持って席を探していた。しばらく場内を見まわしたあと、彼は最後列から数列前に席を見つけた。座席にいったんバッグを置き、脱いだ上着を丁寧にたたんで自分の腕にかけ、バッグを座席から床に移し、ゆっくりと腰をおろした。そして、コーヒーショップの袋を開け、取り出した紙コップを肘かけのドリンクホルダーに収めた。一連の動作には全神経が注がれていて、まるで映画鑑賞前の儀式のようにも見えた。

ところが、その儀式に水をさす者が現れた。前もって席を確保していた女性がトイレから戻ってきたのだ。小太りの彼女は席に挟んでおいたバッグを取り上げ、窮屈そうに腰をおろそうとした。そのとき、彼女の腕が隣のドリンクホルダーの紙コップに触れた。紙コップの8分目まで注がれていたコーヒーは衝撃に耐えられず、わずかにこぼれ、そのこぼれた液体は男性の上着と太ももにかかった。固まる男性。「どうしよう。すみません。どうしよう」と座るに座れず、中腰のままうろたえる女性。コーヒーから湯気は立ち上っておらず、火傷の心配はなさそうだったが、男性は微動だにせず、正面の背もたれの一点を見つめることで怒りを抑えているようだった。男性は無言で席を立ち、すでに薄暗くなった場内からロビーへと向かった。シミの範囲を確認するためだったのだろう。何も声をかけてもらえなかった女性はいぜんとして中腰のままうろたえている。男性はしばらくして戻ってくると、「ちょっといいですか?」と女性に声をかけて連れ出した。

上映前の予告CMが終わる頃、男性がひとりで戻ってきた。通路側の席に置かれていた女性の荷物を内側の席にずらし、かわりに内側の席から自分の荷物を取り上げて通路側に腰をおろした。本編がはじまって10分あまり過ぎた頃、ようやく女性が戻ってきた。男性に言いつけられたのだろうか(女性はそこまで気の回る人には見えなかった)、彼女の手にはコーヒーショップの袋が提げられていた。彼女は申し訳なさそうに身を縮め、いつの間にか荷物が移動されていたひとつ内側の席に腰をおろした。それから2時間近く、男性も女性も上映前の不運など忘れたかのように映画に集中していたが、エンドロールが流れて場内に明かりがつくと、女性はバッグから財布を取り出した。「すみませんでした」と恐縮しきって財布を開く彼女に、男性は「少し待ってください」と冷淡に告げ、明かりの差し込む出口付近に移動し、これ見よがしに上着のシミを確認しはじめた。その間、女性は不安げな面持ちで待ちつづけていた。

汚されたかわりにクリーニング代を請求するところまでは稀にある話だが、男性の怒りはそれでは収まらなかったのだろう。さほどこぼれていないコーヒーの代わりを買いに行かせ、上映中に逃げられないように(あるいは少しでもコーヒーのかかった可能性のある席に座りたくないために)女性の荷物を内側に移し、人目につかないロビーでの精算も可能だったのに、わざわざ上映が終わるのを待って場内でクリーニング代を払わせた。男性は怒りを抑えるために、女性に屈辱という罰を与えたのだ。恥をかかせないための配慮などせずに。

わたしはしばらくスクリーンに注目していたが、目の前で起きた出来事の緊迫感に気圧されて落ち着かなかった。ふと気になって女性のほうを見やり、またスクリーンに注目しては女性のほうを見やる。そんなことを繰り返しているうちに、過去にデートした男が走馬灯のように目の前に現れては消えはじめた。そして、走馬灯は徐々にスピードを落とし、ある男のところで静かにとまった。


──その頃、わたしは深刻な自信のデフレスパイラルに陥っていた。何かをしては結果が思わしくなくて落胆し、別なことをしてはまた思わしくなくて落胆する。その繰り返しでなけなしの自信貯金は底をつき、いよいよ高利の自信キャッシングに手を出す段階にまできていた。そんなとき、あるひとりの男性から食事に誘われた。ろくに知りもしない人だったが、わたしに好意を寄せてくれ、その“好意”を実際的な“行為”に昇華させようという意思だけはよく伝わってきた。わたしが自信のなさから弱気な発言をしても、謙虚と勝手に解釈してくれるのもありがたかった。相手の弱気な発言を聞いて、「どうせ、そんなことないよって言ってほしいだけなんだろ? 承認欲求からそんなこと言うんだろ?」と勘ぐったりしない素直さが彼にはあったのだ。ただ、彼の素直さは、裏を返せば愚直さでもあった。
迷いに迷った末、誘いに応じることにした。生きていくのに必要な最低限の自信を取り戻したかったのだ。そのためには多少の投資も必要だった。恋愛市場に限定するならともかく、男を通して自分の価値全般を計り、あわよくば自信を取り戻そうとするなんて愚の骨頂とわかっていたが、もうわたしに残された道はそれしかなかった。

土曜の夜、ちょっと気の利いた料理を出すダイニングに向かった。午後いっぱい友達とフットサルをしていたという彼は、出かける前にシャワーを浴びてきたと言い、それからまもなく自分の発言を別な角度から検証したのか、「あ、いや、そういう意味じゃないんだけど」と註釈をいれ、「あ、いや」と再度註釈をいれようとして思いとどまった。わたしが吹き出すと、彼もつられて吹き出し、そこから話は昔の恋愛の失敗談や、元恋人のちょっと変わった趣味というありがちな方向に進んでいった。出だしはなかなか悪くなかった。店を出て駅方面に向かって歩きはじめても会話は尽きず、途中にいい雰囲気のバーかカフェがあれば寄るつもりでいたが、カフェといえばスターバックスくらいで、これという店は見当たらなかった。

「疲れてない?」
「大丈夫」
「ならもう少し歩いてみよっか。いい店があるかもしれないし」

そこでおもむろにスマホを取り出して店を探したりせず、なりゆきに任せる彼の鷹揚さも好印象だった。

ところが、歩けど歩けどいい店は見つからない。妥協してスタバに入ろうかと話していたとき、小さな木陰が目にとまった。ビルの横にあるその木陰にはベンチが設置されていて、表通りからほどよく遮られていた。噴水の底に設置されたライトの光が水越しにおぼろに広がり、あたりを幻想的な明かりで包み込んでいた。次の店が見つからずにさまよっていたわたしたちにとって、これ以上の場所はないように思えた。

ふたりでベンチに腰かけ、たわいない話をつづけた。小さなベンチとたわいない話はぎこちなかったふたりの間に親密さを生み、その親密さはやがて理性の堤防を突き崩した。軽いキスはまたたく間に愛撫の域に到達し、彼はわたしの手を取ると自分の太ももへと導いた。表を行き交う車の音も、さざめく人声も、わたしたちの耳には届かなくなっていた。「さすがにここでは」とためらう自分と、「欲望のままに行動してもいいのでは」とそそのかす自分。耳元でささやき、ときおりうめく彼。欲望が勝とうとしていたそのとき、彼の声色が突然変わった。

「ヤバい」

どのヤバさだろう。懸念と艶情のないまぜになったものが全身を駆けめぐった。しかし、そのヤバさはわたしが真っ先に想像したヤバさではなかった。彼は突然立ち上がると、歩くことを覚えたばかりの小鹿のような足取りで軽やかに走り去った。彼の太ももに置かれていたわたしの手は宙をさまよい、重力のあるべきかたちとして下に垂れ下がった。置き去りにされ、わたしとわたしの手は戸惑った。これからどうしたらいいのだろう。そこに足音が聞こえてきた。彼が戻ってきたのだろうか。音のするほうに目を向けると、彼が恐れをなしたとおぼしきヤバさの元凶が屹立していた。制服を着た警備員だった。

「あれ、行っちゃった」警備員がいまはなき小鹿の軌跡を目で追った。「まあ、お客さん、よそでやってくださいよ」という警備員は同時に複数のメッセージを発していた。苦渋と好色と好奇と同情をにじませた顔で、声は妙に厳粛で。まるで愛してると言われながら刺されたような気分だった。そうした矛盾したメッセージを発しつつも、警備員の態度は決然としていた。欲望のオアシスからていよく追い出され、残された手とともにビル街を歩きはじめた。

街灯のなかにぽつりぽつりとカップルの姿が浮かび上がり、また暗がりに消えていく。スポットライトが当たって高揚するのは一瞬で、つぎの光が当たるまで暗がりを手探りで進むだけ。その姿は崇高でもあり卑しくもある。それでも彼らの理性の堤防は堅牢で、相応の密室にたどり着くまで決壊しないであろうことは容易に察せられた。

その後、彼からパニックを起こして逃げ出したことを詫びるメールが入ったが、わたしは返事をしなかった。その頃には、緊急の借り入れが必要になっていた自信貯金もかろうじてプラスに転じていたのだった。