記憶の箱

 
朝、目が覚めてベッドから這い出すと、何かよくないことが待ち受けているような不吉な予感がした。前の晩にベッドに入ったときには、わけもなく心が浮き立っていて、どう考えてもこの先には絶望の楽園か、幸福の断崖絶壁しか待ち受けていないというのに、翌朝目が覚めたら、部屋の隅に薔薇色の時空の切れ目が現れて、理想の世界へと連れていってくれるような気がしていたのだ。ところが、目が覚めて真っ先に自分を襲ったのは、得体の知れない不安だった。見慣れたはずの部屋が急によそよそしく感じられ、いつも自分の味方でいてくれた恋人の顔にかすかな翳りを見たときのような、遠くから迫りくる灰色のスモッグをなすすべもなく呆然と眺めているような心持ちだった。向こう見ずな10代の少女のように、傷つきたくない一心で自分から別れを切り出して、家から逃げ出すわけにもいかず、ただ事態の修復を願い、息を詰めて様子を見守るしかなかった。自分名義の賃貸契約を放り出して失踪するほどの勇気は、いまのわたしにはなかった。

午後にもなると、部屋との関係は徐々に修復されてきた。たとえ腐れ縁でも、家賃さえ支払っていれば関係が途切れることはないと気づいたからだ。気持ちが落ち着いてくると、日常にいつものような平穏な無為さが戻ってきた。なめはじめたばかりの飴を噛み砕いては破片を2メートル先まで飛ばし、ベランダのフェンスに止まるばかりで近くに置かれた餌には関心を示さないスズメを観察し、ドーナッツクッションを頭にのせてバランスを取る遊びにも飽きたころ、ようやく探し物をしなければならないことを思い出した。1冊の本だ。

まずは本棚から捜索するも、発見には至らず。つづいてクローゼットの上の棚を捜索。紐でしばった本の山がいくつか収納されているはずだった。しかし、押し込んでいたラッピング用品を頭からかぶり、買い込んでいた歯みがき粉を床に落としただけで、肝心の本は見つからない。残るはベッドの下だ。ベッドの下にはダンボール箱2つ分の本が眠っている。最初に軽いほうのダンボール箱を開けると、ナチュラルライフと菜食生活を取り上げた雑誌が顔を見せた。わたしが肉類をいっさい摂らず、ペスクタリアンとして暮らしていた頃に人から譲り受けたものだった。なかば信仰がかったナチュラルライフに気持ちがついていかず、パラパラとめくったきり部屋の隅に積み重ねられ、やがてダンボール箱に居を移していたのだ。いずれ返すかもしれないと思っていたが、返すこともなく数年が過ぎた。再び封をし、もとの場所に戻した。不都合な問題は、極力直視しないほうがいい。

もうひとつのダンボール箱には、資料やテキストの類が入っているはずだった。処分した覚えもないのにくだんの本が見つからないということは、このダンボール箱に紛れ込んでいるとしか考えられない。ところが、手前のベッドフレームが邪魔になって引っぱり出せないのだ。マットレスの接する面が一段高くなっていて、フレームの外枠下側の開口部より高さがある。この内部の空洞を収納に利用したのだが、押し込んだときには持ち上がったはずのベッドが今回は持ち上がらず、ダンボール箱を引っぱり出せなくなってしまった。どうしよう。もう捜索は諦めて、同じ本を買うしかないのだろうか。

そのとき、意外なものが目にとまった。這いつくばって奥をのぞくと、見覚えのない平たいダンボール箱があったのだ。引っぱり出してみると、それはもう何年も前に買ったパソコンの入っていた箱だった。しかし、肝心のパソコンは表に出ているし、不要になった古いパソコンは最近処分したばかり。となると、これは──。

箱から出てきたのは、90年代初頭に製造された旧式のワープロ専用機だった。もともとの持ち主は母方の伯父で、独身だった彼が亡くなり、母方の親戚で部屋の後片づけに赴いたときに父が譲り受けたものだった。カーボンリボン式のプリンター付きで、大きさはiPad2の4倍ほど。わたしが10代のときに学内の体罰問題を外部に訴えるべく、文書を作成したのもこのワープロだった。どこかに提出する目的で、このワープロでまともに文書を作成したのは、後にも先にもこのときだけだったように思う。それからまもなく発表されたWindows95とともに実家にもパソコンがやって来て、ワープロはすっかりタンスの肥やしになってしまった。それをなぜ引っ越す際に持ってきたのか、自分でもわからない。ともかく一度も電源を入れないまま、長い歳月が過ぎていたのだ。

伯父はこのワープロを主に仕事用に使っていた。そこには、資料というかたちで仕事上のトラブルや苦悩が記録されていたという。伯父には鬱病の既往歴があった。そんな彼も東京での仕事をやめて帰郷し、新しい仕事を得、かつての明るさを取り戻したように見えた。兄弟姉妹の家族を自宅に招いて料理を振る舞うこともあったし、そういうときの伯父はいつも上機嫌だった。しかし、所帯持ちの兄弟姉妹のおかれた状況、特に時間の制約の問題は、独身の伯父、まして男性に家庭的な面や細やかさがさほど求められなかった世代の伯父にとっては、なかなかわかりづらかったのかもしれない。伯父の鬱病の再発とどちらが先だったか、しだいに交流は少なくなっていった。やがて仕事上の悩みも抱えるようになり、ある日、伯父は失踪した。それから数日たって隣県で警察に保護され、もう1人の伯父が迎えにいった。さらに数週間後、伯父はふたたび失踪した。次に伯父が発見されたのは山中で、風邪薬を大量に服用してすでに息絶えたあとだった。

伯父の2度目の失踪から幾日か過ぎたある日。夕食を摂っていると、どこからともなく流れてきた微風が頬をなでた。風のない夜で、窓もすべて閉まっていた。母はふと箸を休め、「あら、風」とつぶやき、不安げな面持ちで表を見やった。その日は、伯父が亡くなったされる日だった。


──箱から出してからしばらく、ワープロをためつすがめつしていた。収納式の取っ手がついているものの、あまりに重く、持ち運びは難しそうだった。薄型のキーに慣れた指には、凹凸が大きく深いキーも打ちづらかった。何か残っているだろうか。そう思ってコンセントを差し込み、ワープロの電源を入れてみる。たが、画面が7色に光るだけで起動はできなかった。もう役目を終えたのだろう。わたしはワープロの電源を落とし、iPhoneを手に取った。そして、区役所のサイトを開き、粗大ゴミの回収を申し込んだ。