カビと都落ちの女たち

 
どうしてこの黒カビは言うことを聞いてくれないのだろう――。

わたしは浴室の中央で呆然と立ち尽くしていた。かれこれ20分近く、窓枠に付着した黒カビと格闘していたのだ。しかし、使い古した歯ブラシを溝に押し込もうが、カビ取り洗剤を吹きつけようが、黒カビはびくともしない。次第にあざ笑われているような気さえしてきた。他の箇所には生えないくせに、もっとも取りにくい窓枠のゴム部分にだけ繁殖しやがって。そもそも、念入りな掃除なんて慣れないことをするのが間違っているのではないか。ふだんはスプレータイプの洗剤を浴室全体に吹きつけて、ザッとスポンジで洗うだけだ。それも2週間に一度ぐらいの頻度で。そのくらいの頻度であれば水垢も汚れも気にならないという、“より快適に、より自堕落に”をモットーとした長年の一人暮らしで得た結論だった。ところが、黒カビだけは快適な自堕落生活に寄与してくれない。ヤツだけは道の真ん中に陣取って、わたしの進路を邪魔するのだ。本当はこんなはずじゃなかったのだ。少なくとも十数年前に聞いた話では。


遊び呆けていた16歳のわたしにとって、百貨店のトイレは格好の着替え場所だった。仙台というさほど大きくない街で、制服で夜遅くまで遊んでいては補導される心配があったため、帰りが遅くなりそうなときは学校の帰りに百貨店のトイレで着替えていたのだった。女子トイレというのはさまざまな本音が聞かれる場所で、個室のドア1枚を隔てて見知らぬ人の重要な局面に立ち会うことがある。多くは些細な噂話だったりするのだが、ときには摩訶不思議な情報が飛び込んできたりするのだ。

それは梅雨を間近にひかえた、ある晴れた日のことだった。いつものように百貨店のトイレで制服から私服に着替えていると、ガラガラ、カンカン、ビシャビシャという騒音がトイレ内に響きわたった。どうやら掃除の時間のようだ。着替えが終わってメイクに取りかかっていると、掃除婦とおぼしき女性2人の話し声が聞こえてきた。片方は仙台地方独特のイントネーションで、おそらくは下町エリアに居住している人。もう片方は露骨なまでに標準語で、南関東のイントネーションを強調してしゃべる人だった。声から判断するかぎり、仙台夫人は50代、関東夫人は40代と思われた。話の主導権は後者の関東夫人にあり、彼女は何かにつけては、いかに関東地方が優れていて、いかに東北地方が劣っているかと、ステレオティピックな事例をあげて説明していた。だが、仙台夫人がさほど関心を示さずに受け流していると、関東婦人は何を思ったのか、「関東地方では浴室にほとんどカビが生えないのに、仙台に来てからというものカビに悩まされっぱなしなのよ」と力説しはじめた。「気のせいじゃないか」と応じる仙台夫人。しかし、関東夫人はうんざりした様子の仙台夫人などお構いなしで、いっそう声を高くした。

「いいえ、それがぜんぜん違うのよ。こっちに来てからというもの、ひと月も経たないうちにカビがびっしり生えてるの。関東にいた頃はそんなことなかったのに」

浴室の内壁材や風通しの問題ではなく、あくまでも気候風土の問題なのだろうか。何か謎解きがあるかなと期待半分に耳をそばだてていたが、あいにく仙台夫人が「さっさと掃除を済ませよう」と話を切り上げてしまった。関東夫人にとっては重要なテーマである“優れた関東と劣った東北”も、仙台夫人にとっては不愉快なテーマにほかならなかった。

関東夫人は夫の転勤か離婚か、何らかの事情で一定期間または残りの人生すべてを仙台で過ごさざるをえなくなった。それを割を食ったと思い、都落ちの悔しさを仙台夫人にぶつけていたのだろう。あるいは、人からあまり敬意を示してもらえない掃除婦という仕事に引け目があり、関東人という東北人よりは優位に感じられるアイデンティティにすがって自尊心を保とうとしたのかもしれない。そこでカビの繁殖という突飛な比較軸を示して、自分がかつて住んでいた関東の優位性を示そうとしたのだ。本来なら東京と言ったほうが通りもいいし、相手からも一目置いてもらえる。しかし、彼女が住んでいたのは東京ではなく、名誉東京とでもいうべきエリアだったため(横浜であれば、その垢抜けたイメージと同地への誇りから堂々と横浜と言っただろうことを考えると、彼女の前住地は埼玉あたりか)、関東と言わざるをえなかった。そこに彼女の正直さが垣間見えた。

仙台夫人は仙台での暮らしに特に不満を持っていないが、東北人特有のぼんやりとした地元への自信のなさがあった。ぼんやりとした自信のなさには、誰かに自分を肯定してほしいという思いが半ばする。だから、いざ地元を否定されると、アイデンティティが揺らいでつい反論したくなってしまうのだ。押しなべて他者評価が高く、住みたいと思う人が多い地域であれば、第三者の否定的な意見も鷹揚に受け入れられるだろうが、自信のない地域の住人にとって第三者の否定的な意見のダメージは大きい。こうした否定的な意見に接したとき、地元から出ていくことを考えていない、もしくは出ていけない若者の葛藤は計り知れないものがある。


カビの話を聞いた数ヵ月後、わたしはあるファストフード店で友達が来るのを待っていた。店内には学校帰りの女子校生、勉強にいそしむ男子大学生、子連れの母親、そして何をしているのかわからないサラリーマンの姿があった。やがて階段をのぼるドタドタという足音が聞こえてきた。のぼってきたのは数名の若い女性。みなスーツ姿で表情も凛々しく、いわゆる総合職の人たちのようだった。だが、彼女たちの口元はへの字に曲がり、見るからに不満が溜まっているようだった。彼女たちが指を鳴らせば、暗雲が垂れこめてきて土砂降りの雨が降り出しそうな不穏な雰囲気をまとっていた。

席についたとたん、ショートカットの女性が口火を切った。なぜ自分たちは仙台などという魅力に乏しい場所に配属になったのかと。彼女たちは街の魅力のなさ、東北人の上司の悪口、ありとあらゆる不満を吐露し合っていた。東京の生活を知る彼女たちにとって、東北から出たことのない上司は井の蛙で、視野の狭さが我慢ならないようだった。長年親しんだ土地でありながら、いまひとつ街の空気になじめず、気持ちの上ではとっくに割り切れていたわたしですら、思わず眉をひそめてしまうような内容だった。仙台が嫌いでない人にとっては聞くに耐えない内容だっただろう。

夕刊を眺めていたサラリーマンはぎょっとして彼女たちのほうを凝視した。卒なく平凡な暮らしを守ることに徹してきたような主婦風の女性は彼女たちを一瞥すると、幼稚園ぐらいの子供の気をそらそうと窓辺の席から表を指さした。女子高生たちはチラチラと様子をうかがいながら、頭を突き合わせて小声で話しはじめた。男子大学生も彼女たちのほうを一瞥すると、なにか急に落ち着きをなくしたようにノートに視線を落としたままペンを回しはじめた。

無言のざわつきはさざ波のように店内に広がり、やがて壁の向こうに消えていった。彼女たちのうちの1人がため息まじりに切り捨てた。

「ほらね、知らない人なのに無遠慮に見るでしょ。だからこの街は嫌いなの」

彼女たちは人事上の不満を、配属先となった魅力に乏しい街の住人にぶつけることで解消しようとしたのだろうか。でも、わたしはある事実に気づいた。彼女たちの会話に「田舎だから嫌い」という言葉は一度も出てこなかったのだ。あくまでも、この街=仙台が嫌いなのだ。また、嫌いな上司の話し方の一例として、「いや、んでも」と否定から会話がはじまることを挙げていた。相手の発言をひとまず否定で受けてから、自分の見解を述べるというのは南東北の男性に顕著な傾向かもしれない。類似するものに大阪人の「〜みたいやな。知らんけど」という言い回しがある。どちらも不確定な事象への確言を避け、ひいては自分の発した言葉に対する責任を放棄するニュアンスを含むが、頭で否定される分だけ前者のほうが心象が悪い。まして免疫のない彼女たちからすれば、ことさら違和感を覚える言い回しだったのだろう。彼女たちはひととおり毒を吐き出すと、ぞろぞろと立ち上がって再び魅力に乏しい街のなかに消えていった。


あれから十数年。浴室のカビに悩まされていた関東夫人は関東に返り咲くことができただろうか。辺境の地に飛ばされた彼女たちは望むべき場所に落ち着くことができただろうか。わたしが偶然にも立ち会ったのは、彼女たちにとっても順風ではない局面で、いまはあの頃よりは納得のいく日々を送っているのかもしれない。ただ、関東夫人にはちょっとだけ文句を言いたい。いま現在、わたしは東京に住み、浴室の黒カビに悩まされていると。