寝台列車の終着駅

 
自分では何も変わっていないと思っても、まわりが勝手に変化を察することがある。それは、見た目の美しさに関するものだったり、逆に「少し太った?」というよけいなお世話な問いだったり、はたまた内面に関するものだったりと、さまざまだ。とくに内面に関するものは、良しにつけ悪しきにつけ人に伝わりやすく、相手のするどい指摘や物言いたげな表情によって、自身の変化を喜んだり、自戒したり、あるいは開き直ったりすることになる。しかし、ときにはまったく面識のない通りすがりの人によって、自身の小さな変化を悟ることもある。自分でも気づかないような小さな変化は、微細な振動となってまわりに伝わるものなのかもしれない。

夜の帳が下り、場末のさらに奥の小さな住宅街では眠りにつく準備がはじまっていた。夫婦ふたりで営んでいる八百屋は店じまいをはじめ、肉屋と惣菜屋を兼ねた店ではオカミが腰をかがめてショーケースのなかの売れ残りを確認している。ガラガラ声のスナックのママがアーチ状のドアを開けると、買い物帰りの近所の住人に声をかけながら看板を表に出した。午後7時。うらぶれた場末の街にもまだ昼の気配がただよい、なけなしの秩序がそろそろ退散しようという時間、道端では60絡みの男がワンカップの酒を握り締めたまま眠りこけていた。いかめしい角刈りと彫りの深い顔立ち。肩から背中にかけては、色の入っていない輪郭だけの仁王の刺青がひかえめに凄みを効かせていた。近くの大学の学生たちは、あたかもそれが都会の流儀というように男に目をくれず、しかし意識はしているような面持ちで通りすぎていく。

そのとき、正面からランニングウェアに身を包んだメガネの男が走ってきた。ひょろりと背が高く、左右で内径の違うタイヤをはいたリアカーのように、左足で着地するたびに左の肩を極端に落として呼吸のリズムを整えている。少し前に見た光景と、いかにも仕事が早く終わったから走っていますという様子のヘルスコンシャスな彼とのギャップに戸惑いをおぼえた。すると、彼が突然立ち止まり、その場で足踏みをはじめた。横を通りすぎようとしたところで、彼が口を開く。
「すみません」
まさか、ナンパだろうか? いや、わたしがナンパされるはずは……。内心からだをくねらせながら、どう答えるのが効果的かと考えていると、彼が言葉を継いだ。
「〇〇駅はこちらの方向ですか?」
「ええ、こちらを道なりに行くと、駅が見えてきますので」
「ありがとうございます」
軽く目礼すると、彼はまたバランスの悪いリアカーのように左肩でリズムを取りながら走っていった。道の真ん中で、ぼんやりと、何か夢でも見ているような気持ちで彼を見送る。通行人に睨まれてわれに返り、あわてて道を開ける。こんなことってあるのだろうか。

それまでわたしは人に道をたずねられるタイプではなかった。過去の経験を合計しても、せいぜい片手で足りる程度だった。だから、自分が人に道をたずねられたという事実は――仮に相手が壊れたリアカーのような男でも――結構衝撃だったのだ。しかし、これははじまりにすぎなかった。壊れたリアカー男を皮切りに、わたしは週に一度の割合で人に道をたずねられる人間へと変貌した。早稲田から日本橋のほうまでママチャリで行くという気合の入った中年女性、大学に入りたてという感じのあどけない青年、スーツ姿のおじさま2人連れ、彼氏とツーリング中の若い女性。そして、直近でいちばん印象に残っているのは、葬式帰りとおぼしき老齢の男性だった。


日が短くなってきた秋の夕方、寺町の外れを歩いていると、老齢の男性がメモを片手に右往左往している様子が目にとまった。頭髪こそきちんと切りそろえていたが、痩せさらばえた小柄なからだに皮が張りつき、顔には少し落ちくぼんだ目と伸びかけの白い無精ひげが目立った。懐から何度も取り出して確認したのか、手にしたメモにはだいぶシワが寄り、彼がこの町に土地勘のない来訪者であることを示していた。同行者とたわいもない話をしながら歩いていたわたしは、相槌を打ちつつ視界の端で男性の姿をとらえていた。来るだろうか。ややあって、男性が意を決したように歩み寄ってきた。

「すみません。〇〇駅はこっちでしょうか」

男性は不安げな面持ちであたりを見まわす。前方に目をこらすと、駅の看板がななめに顔を出しているのが見えたが、肝心の駅名は陰になって見えなかった。もともと地理の把握が苦手な様子の男性は、こちらの説明を聞いては何度も念を押すように確認する。わたしは繰り返し説明しながら、男性の言葉の感じから出身地を当てずっぽうに考えていた。滋賀、それとも福井あたりだろうか。東の出身のわたしには馴染みのない訛りで、どこのものか正確にはわからなかったが、なんとなく東海地方より西側であるように感じられた。雰囲気も長年東京で暮らしている人のそれではない。

そんな男性がボストンバッグを片手に上京した――。服装は白いシャツに黒っぽいスラックス。寺町という土地柄を考えると、誰かの葬式に参列した帰りなのかもしれない。戦友の葬式にしては男性はまだ若い。戦時中は小学生ぐらいだったはずだ。となると、古い知り合いだろうか。中学校か高校を卒業してすぐに故郷を離れ、東京の会社に就職。住まいは会社の寮で、同じ釜の飯を食う仲間がいた。地方から上京した男性は東京の暮らしに馴染めず、仕事もうまくいかず、上司には怒られてばかり。そんなとき、親身に相談に乗ってくれる先輩や同僚がいた。行き詰まった男性を見かねた彼らは、それとなく男性を励まし、男性もまた前向きに考えるようになり、しかしまた行き詰まって、また励まされ。そうして何度目かの行き詰まりに直面したとき、男性は荷物をまとめて故郷に帰ることにした。残念そうな面持ちで、それでもそれが男性にとって最良の選択ならと寮の前で見送る同僚たち。

「駅まで見送りたいけど、仕事があるからごめんな」親友と呼べるまでの間柄になったジロウは言う。「これ、みんなから。帰りに何かうまいもんでも食えよ」と、そっと餞別を手渡すジロウ。
男性はうつむき加減に、うん、うん、と何度もうなずく。ありがとう、さようなら、と言ったら涙が堰を切ったようにあふれそうだ。
「手紙、くれよ」と次に仲のよかったタケオが言う。
「あと、柿も」とお調子者のツヨシが軽口をたたき、周囲から小さな笑いが起こる。自分の故郷ではうまい柿が取れると男性が言っていたのを覚えていたのだろう。そんな軽口も男性にとっては名残惜しい餞別の言葉となった。
ちらっと顔をあげると、ジロウの目には涙が光っていた。男性は唇を噛みしめ、またうつむいた。「それじゃ」。男性には精いっぱいの別れの言葉だった。

男性は夜の寝台列車に乗る予定だった。本当は夕方に寮を出れば間に合ったが、同僚たちがみな出勤していくなか、ひとりだけ寮に残るのはためらわれた。夕方、仕事から戻った同僚たちのここでの暮らしが続いていく明るい雰囲気と、故郷に帰る自分の暗い雰囲気の対比を目の当たりにするのもつらかった。そこで午前の電車で帰ると嘘をついて寮をあとにしたのだった。

最後に何か見よう。そう思ってやってきたのは上野動物園だった。サル山の前でぼうっと立っていると、年端もいかない子供と母親の2人連れがそばにやってきた。
「おさるさんがいるね」
「そうね」
「いちばん強いのはどれだろう」
「あのお山のてっぺんにいるのじゃないかしら」
サル山の力関係を観察していた男性はわれに返った。そう、自分も妻をめとり、子供をもうけて東京でささやかな家庭を築くつもりだった。それがもう自分にはできないのだ。男性はやりきれなくなり、西郷会館の2階の食堂に向かったが、そこもまた上野見物の家族連れでいっぱいだった。故郷から出てきた義理の両親を連れた若い女性の姿もある。男性はハヤシライスをかき込み、早々に店をあとにした。
それからはあてどなく歩き、上野公園のベンチに腰をおろしたときには日が西に傾いていた。不忍池には日の残滓が落ち、蓮の葉と葉のあいだに茜色の光がにじんでいた。男性は、山の稜線の向こうに日が落ちる故郷の夕空がいちばんだと思っていたが、あらためて見る東京の夕空はそれを上回るものがあった。
渋る足を引きずりながらたどり着いた上野駅は、相変わらず人でごった返していた。男性は上野駅が嫌いだった。田舎から出てきた人と田舎へ帰る人が大勢行きかい、あくまでも田舎の流儀を押し通そうとする頑迷な田舎者と、表面的にはにこやかに応じつつも内心では嗤う都会人の心の動きが見て取れてつらくなるからだ。野暮と洗練がせめぎ合い、感情むき出しの争いを嫌う洗練から形式的に譲られたカップを、野暮は満足げに頭上高くかかげる。野暮ではありたくなかったが、かといって都会流の洗練も身についていない、しかし田舎者を馬鹿にすることもできない男性は居心地の悪さを否めないのだった。
うつろな気分で改札を通り抜け、寝台列車のとまるホームに下りる。もらった餞別で買った弁当を手に列車に乗り込み、三段式のB寝台の上段にボストンバッグを放り投げる。やがて列車がゴトンゴトンと動き出し、ホームで列車を待つ人々や駅弁売りの姿が車窓の後ろ、後ろへと流れてゆく。通路を行きかう人の流れが途切れたところで、男性は窓際の補助席を下ろして腰を落とした。弁当を食べはじめた男性の横を都会の光りが流れてゆく。建設の進むビルのひとつひとつにじっと目を凝らす。つぎにこの光を見るのはいつだろう。しだいに焦点がぼやけ、いつしか男性は窓に反射する自分の顔を見つめていた。

――駅までの道のりをようやく呑み込んだ男性は、「ここをまっすぐ行くだけですね」と自分に言い聞かせるように小刻みにうなずいた。そして、視線を斜め前方に固定したまま軽く頭を下げ、ボストンバッグを痩せさらばえた老身に引き寄せて歩きはじめた。その後ろ姿には、いろいろな思いを抱えながらも自分の人生を受け入れようと努めた人の、恬淡としたすがすがしさとほのかな影が漂っているように見えた。