魔の時間、死の扉が開くとき

 
人の一生は舞台やドラマによく例えられる。ただ、実際の舞台はひとつの物語につき、わずか数時間で終わりをむかえる。客の入りが悪ければ早々に打ち切り、連続ドラマで視聴率が悪ければ途中で打ち切りになってしまうこともある。しかし、これが人となると、客の入りにかかわらず上演を続けなくてはならない。ときには、ひとりも観客のいない劇場で自分を演じつづけるのだ。自分劇は片田舎の芝居小屋で上演されることもあれば、都会の大劇場で上演されることもあるが、都会は劇場数が多い分だけ、さまざまな舞台を目にすることができる。ふらっと入った劇場でやっていた舞台がたまたま好みで、常連として通いつめるようになったりするかもしれない。ただ、ときには知らない劇場に迷い込み、見るつもりもなかった舞台に立ち会ってしまうこともある。それが劇場最後の日、ちょうど幕が下りる瞬間だったとしたら――。


突然鳴り響いたパトカーのサイレンが、静寂に包まれた明け方の西新宿を切り裂いた。サイレン音は四方八方に広がり、地上では吸収しきれなかった分が高層ビルを駆け上がっていくようだ。スピード違反の車でも見つけたのだろうかと周囲を見渡したが、車の影はまばら。ときどき通る車もいたって安全運転で、警察に目をつけられそうなものはなかった。パトカーの姿に気がとがめたのか、車が来ないのを見計らって赤信号を渡ろうとしていた若い男は歩道の端で立ち止まり、黒いコートをはおった背中を丸めて信号が青に変わるのを待ちはじめた。日中はさまざまな人が足止めを食らうこの場所も、いまは彼とスーツケースを引きずった若い女、そしてわたししかいなかった。パトカーは張り詰めた寒さのなかを縫うように走り、やがて闇の奥に消えていった。交通違反の取り締まりでないということは、何かが起きて現場に急行したのだろう。遠くでこだまするサイレン音を聞きながら、わたしはある予感がしていた。外れるに越したことはないが、当たってしまうかもしれない。仮にそうだったとしても確認する術はない。信号が変わり、若い男の黒い背中を横目に追い越した。何事もなかったかのように、西新宿にはふたたび静寂が戻っていた。

いつもの道をいつものように通る。それだけのことが叶わないこともある。しばらく歩いていると、前方に救急車の赤色灯が見えてきた。まもなくその隣にパトカーが横付けされた。止めた向きから察するに、パトカーはわたしの横をすり抜けていったもののように思えた。いったん路地に入った救急隊員がすぐに戻ってきた。担架は救急車から半分出されたまま放置され、出番を待ち受けていた。西新宿、早朝、年末、すぐに動き出す気配のない救急車と警察車両。散歩中の老女ふたりが憂い顔でちらりと路地を見やった。それとほぼ同時にすれ違ったので、彼女たちがどんな顔をしていたのかはわからない。通りすがりざま、救急隊員が出入りしていた路地を見やると、暗がりの奥に質のよさそうなコートを着た男性がうつぶせに倒れているのが見えた。微動だにしない。頭をこちらに……向けていたはずだった。錯覚かもしれない。でも、錯覚ではなかったのだろう。頭があるはずの場所には何もなかった。落下の衝撃で首が完全に折れてしまったようだった。事故の可能性もなくはないと思ったが、男性が倒れていた両側のマンションはいずれも路地に面して外階段がついていた。外階段、時間、服装、そして西新宿。事故と考えるのは難しかった。わずか1、2秒、路地に向けていた目を正面に戻すと、ある女性と視線がかち合った。第一発見者、あるいは関係者だったのかもしれない。その顔には憔悴や戸惑い、怒りや悲しみなど、あらゆる感情が浮かんでいた。かけがえのない存在をこういうかたちで亡くすと、突然荒野に放り出されたような思いに駆られる。最初は混乱して考えがまとまらないが、やがてどうにか状況を受け入れようとしはじめる。相手の選択を正当なものと考えたり、自分にはどうしようもなかったと言い聞かせてみたりするが、最後に残るのは「そうだとしても、どうして?」というほろ苦い不条理感だ。

ひと口に西新宿といっても広いが、再開発地域にはホテルやマンションといった高層の建物が多い。そうした環境に加えて、不安定な職業につく住人も多く、自ら死を選択する人も少なくない。記憶に新しいところでは、藤圭子がそうだった。真夏の早朝、彼女は西新宿の高層マンションから転落した。そのわずか数十分後、わたしは何も知らず現場の前を通っていた。救急車や警察車両が止まっていたが、すぐに搬送する様子がないところから、救急車に乗るはずだった人は軽症で済んだのだろうと思った。救急車や警察車両が並んで止まっているにもかかわらず速やかに搬送する様子がないと、ふだんは真っ先に自殺の可能性を考える。それもこれも、父をはじめ身近に自殺者が多いせいなのだが、なぜかこのときは例外で真っ先には考えつかなかった。状況から自殺を連想しても不思議ではなかったのに、近くの交差点まで歩いて、ようやく、もしかしてと脳裏をよぎった。わたしにしてはめずらしく生を謳歌しているような、とても前向きな時期だったので、死という方面に思いが至らなかったのかもしれない。

ひるがえって、最近は程よく後ろ向きに戻ったせいだろうか。明け方の西新宿を走り抜けていくパトカーを見て予感がしたのだ。きっと、またそうなのだろうと。きっと、また誰かが魔の時間に引き込まれたのだろうと。希死念慮があったり、精神的に追い詰められたりしている人にとって明け方というのは魔の時間だ。知らず知らずのうちに死の扉に手を伸ばし、油断した隙に扉を押してしまうのだ。特に希死念慮がなくても、一晩中起きていて、ふと心もとない気持ちに駆られるのもこの時間だ。テレビをつけたり、誰かにメールを送ってみたり、コーヒーをいれにキッチンに立ったり、ベッドに潜り込んだりして気持ちをなだめようとするが、心もとなさはなかなか消えてくれない。夜明けの静寂は自分を自分との対峙にいざない、夜明けとともに自分が溶けて消えてしまうような漠然とした不安に陥れるのだ。

いま見た光景、どちらかといえば道路にうつ伏せに倒れた男性ではなく、憔悴と不条理感に満ちた女性の表情を思い返しながら、近くのコンビニに立ち寄った。外の暗さから一転、店内の明るさに目がくらんだ。店内に客の姿はなく、猫背の店員は手持ち無沙汰そうにパンコーナーをうろつき、商品の配置をところどころ変えていた。わたしはATMで現金を引き出し、レジのところで先の店員に払込票を手渡した。ふと目にとまったチロルチョコも2粒、彼の前に差し出した。彼は気だるそうにレジを打ち、わたしはそれを漫然と眺める。彼はいまさっき目と鼻の先で起きたことなど知らず、手持ち無沙汰に時が過ぎるのを待っていたのだろう。そう、このとき思ったのだ。目と鼻の先で人が飛び降りようと、生真面目にあるいは怠惰に生きてきた人が追い詰められて自ら命を絶とうと、期せずしてその瞬間に立ち会おうと、近くにいながらまったく気づかずとも、それでも人生のコマは進んでいく。どんなに退屈でも、どんなにスリリングでも、自分劇場はそう簡単に幕引きにはならないのだ。だが、観客の求めに応じて演出がすぎれば疲れ果て、やがて引退を考えるようになる。つらいときには休演してもいい。観客も無理強いはしないで、のんびりと再演を待てばいい。演者も観客もそんな心持ちだったらと思った冬の朝だった。